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裏インティバリ~バリ島コスメを手掛けるインティバリの思考と価値観

2人の息子が所属するバリ島サッカースクール「バリ・フットボール・アカデミー(BFA)」が、茨城県鹿嶋市と鹿島アントラーズの招待で日本遠征しました。

どういうことかと言えば、鹿嶋市と鹿島アントラーズが日本版DMOに取り組むことになり、試験的にインドネシア圏の子供サッカーチームを招待してモニタリングする企画です。日本版DMOとは、地域活性化のための観光地域づくりのことです。今回、海外の子供サッカークラブを鹿嶋市に呼べたとして、どういう風に対応するべきか、などなど、モニターしたいとのことで、縁あって僕が鹿島アントラーズからの依頼を受け、息子2人が所属するBFAに話を持っていったわけです。実際は日本遠征というよりサッカーをからめたツアー旅行という色が濃く、3月31日に行われた鹿島アントラーズの試合観戦を目玉にした日程が組まれたのですが、

鹿島アントラーズ
鹿島アントラーズ
鹿島アントラーズ

僕の日頃の行いが良かったのか笑、運よく例年より1週間ほど早いサクラの開花もあるという最高のタイミングとなりました。バリ島のコスメ屋さんがボランティアでやるには荷が重い作業満載だったんですけど泣、いや、20数名分のエアチケット手配したり、ビザの取得手続きをしたり、日本までの引率もして、最早やってることは旅行代理店業?まぁ~子供たちには良いプレゼントになったと思います。いや、そうでなければ、やってられません笑。

さくら

こんな感じで、今回のツアーは鹿島アントラーズの試合観戦を目玉に、運よく花見ができ、また、地元中学生との交流試合やショッピング、スタジアム見学が盛り込まれた鹿嶋市ならではのツアーだったわけです。が、、、如何せん風が冷たくてバリ島育ちの子供達にとって3月末の茨城県鹿嶋市は寒すぎた泣。

鹿島アントラーズのクラブハウスに併設するグランドで全国大会に出場する強豪地元中学サッカー部と交流戦をしたのですが、日本の子は、みんなリップクリームを使ってるんですね。唇がキラキラしてるので「日本の中学生はみんなメイクしてる」とバリの子供達は勘違いしてましたが笑、リップを持参してなかったバリの子たちの唇はひび割れて大変なことになってました(泣。


そんなわけで、日本の寒い季節、特に風が強く乾燥している場所では、リップクリームが欠かせませんね。

保湿クリーム ハニービー

PS
今回、BFAが中学のサッカー部と試合をしたわけですが、部活って学校教育の一環で僕にとっては昔懐かしい雰囲気でした。

いやいや、先輩後輩の上下関係があり挨拶など規律に厳しく、バリ島から付き添いで行った保護者の僕に対しても、深々と頭を下げ大きな声で「こんにちは」って挨拶してくれるんです。そして、何よりもコーチの言うことは絶対。インティバリ目線ではありますが、サッカースタイルもベンチからコーチの指示が飛び交いシステム的なものでした。全国大会に行くようなチームですから、ちょっとのミスも許されない厳しいサッカーです。この中学とは別の中学&隣の市の選抜チームとも試合をしましたが、これは、日本の部活ならではの独特な環境ですよね。プレイ中も選手間で叱咤激励の言葉が飛び交ってましたし。

一方のバリ島チームはと言えば、どちらが良い悪いということでなく、試合中にベンチからコーチの指示は全くなし笑。ミスも「大丈夫」と許され、みんなが勝手気まま自由にプレイするスタイル。楽しむことが最重要事項です。こんな感じだったのですが、試合結果と言えば、、、あえて言いたくないです(汗、だって、うちの長男(17歳)も含めバリ島チームには高校生が数名入ってますから勝って当たりまえ汗汗汗。ちょっと恥ずかしかったです。それが僅差の勝負で、、、

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1964年生まれの横浜育ち。6年間のジャカルタ駐在を経て2000年にバリ島に移住し、娘の肌トラブルをきっかけに化粧品販売会社を創業。自分自身、元々アレルギー体質&敏感肌の医者泣かせで、小学校1年生の時から一年間、親元を離れ病院が併設された養護学校で生活しました。今は、4人の子供を育てながら奮闘中。

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インティバリ代表 岡柳 薫

1964年生まれの横浜育ち。6年間のジャカルタ駐在を経て2000年にバリ島に移住し、娘の肌トラブルをきっかけに化粧品販売会社を創業。自分自身、元々アレルギー体質&敏感肌の医者泣かせで、小学校1年生の時から一年間、親元を離れ病院が併設された養護学校で生活しました。今は、4人の子供を育てながら奮闘中。(ごあいさつ