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裏インティバリ~バリ島コスメを手掛けるインティバリの思考と価値観

インティバリの原点~薬は嫌いです~

僕は小児喘息でした

小学校1年生の時、学校が併設された病院に1年間ぐらい入院した経験があります。空気がキレイな山奥にある病院です。当時は、ちょっと林に入るとカブトムシやクワガタが採れ、近くの川にエビが沢山いるような自然の中にある所です。その病院では身体を鍛えて治療する方針を打ち出しており、薬を飲まされたことがありませんでした。入院しいてた時は1回も喘息の発作がなく「入院する必要ないんじゃん?」と思えるくらい誰よりも元気な子供だったんです。

退院後は、また喘息が出るのですが、薬が嫌いだったので飲まず、ひたすら耐えていたのを覚えています。呼吸が苦しくなると近所の人が心配するほど大声を張り上げることもありました。今なら虐待?と思われてもおかしくない叫び声です笑。これは後で分かったことですが、息が苦しくなった時に声を出すと少し楽になるのです。息を吸うには、まず息をはく。苦しくなると、息をはかずに吸おうとするから余計苦しくなるんです。声を出すということは息をはいているのと同じです。それから気合いも入る笑。サッカーをやっていた時にも経験済みです。苦しくなった時に声を出すと気合いが入って動けるようになるんです。ただ、子供の頃は(僕も含め、両親、妹、近所の人たちも)、そんな理屈が分からず大声を張り上げていたもんだから、誰が見ても重病人です笑。妹の息子も喘息だったのですが「見てると怖いからすぐ病院に連れて行く」と言ってました。「そんなに酷いんだ?」って聞くと「お兄ちゃんの時よりは全然軽いよ」って返事なんですけど笑。

話しを戻しますが、小学校高学年になっても相変わらず喘息が治らず、頻繁に発作が続く時には病院に連れて行かれたりするのですが、医者から薬での治療を勧められても自ら断って笑。「ならもう来ななくていい」とか先生に言われて笑。子供の頃から頑固だったのですが、ある時、酷い発作がでたことがありました。どうしょうもなくなって病院に行き吸引したのですが、そしたら直ぐ楽になって、、、その時、初めて薬の威力を知りました。そして、子供ながらに「辛い思いを我慢してまで薬を飲まない意味があるのか?」と思うようになりました。それまで自分なりの考えや知識があって薬を拒否していたわけではありません。今考えても「どうしてなのか?」よく分からないのですが、小1の時に親元を離れ山奥で過ごした1年が関係しているとは思います。その時以来、夜に喘息が出ると朝まで我慢して病院に行くようになりました。飲み薬ももらっていたのですが、幸いにも?効かなくて、結局飲まずに夜は我慢するだけ。まぁ~こんな感じで身体が弱かったです。今でも我が家では最弱ですが、、、

高校生になって喘息がピタッと止まりました

(長男16歳当時)

高校生になって身体が作られてきたからか、喘息が出なくなりました。サッカー部に所属していましたが、それでも中では1番持久力がなかったです。長距離走は何時もビリでしたから泣。ホント直ぐ息が切れて、それを我慢して続けていると急に楽になって、その一線を超えてやっと回りと対等になるような感じで、これを1年間毎日繰り返して、2年生になる頃は、そんな簡単に息が切れることもなくなりました。3年生の頃は、僕の人生で最も身体が動いた時期です。1年生と3年生の体力の差ってほんと大きかったです。そんなに強い学校ではありませんしたが、顧問が当時強かった大学サッカー部の出身で(Jリーグのない時代です)、高校3年間は大分鍛えられました。サッカーが嫌いになるくらい笑。

大人になって


こんな感じで、高校生になった頃からずーと喘息が出てなかったのですが、次女が小学1年生になった年、僕も40半ばですかね、この年だけ突然喘息が出て。この時も病院に行くのを拒否して笑、薬も飲まず我慢してたんですけど、ほんと動けなくなったことがあって、自分の中では頑張れるんですけど、妻は僕が死ぬんじゃないかって思ったらしく笑、病院に電話して迎えにきてもらって、動けないもんだから車に乗るのも大変で、それが、病院について吸引したら数分で楽になって。いや、看護婦さんが神様に思えたんですけど笑、この時、昔を思い出しました。「なんで俺は我慢してたのか?」「バカか?」って笑。

こんな感じで、どうにもならない時は薬の力を借りましたけど、基本的には薬が嫌いです。子供の頃は意味もなく嫌ってましたが、今は一応の考えもあります。薬は副作用が怖いし、免疫力を落とすんじゃないかという不安があるんです。自分の中の勘がそう告げてます笑。なので子供達にも薬は飲ませません。僕と同様にアレルギー体質のようですが、幸いにも喘息はなく、今まで薬を飲ませていないからか、免疫力が強いのか、子供の頃弱かった僕からすると、うちの子供達、異常に思えるほどの回復力があります。このようなことも、インティバリのベースにあるかなと思っています。

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1964年生まれの横浜育ち。6年間のジャカルタ駐在を経て2000年にバリ島に移住し、娘の肌トラブルをきっかけに化粧品販売会社を創業。自分自身、元々アレルギー体質&敏感肌の医者泣かせで、小学校1年生の時から一年間、親元を離れ病院が併設された養護学校で生活しました。今は、4人の子供を育てながら奮闘中。

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インティバリ代表 岡柳 薫

1964年生まれの横浜育ち。6年間のジャカルタ駐在を経て2000年にバリ島に移住し、娘の肌トラブルをきっかけに化粧品販売会社を創業。自分自身、元々アレルギー体質&敏感肌の医者泣かせで、小学校1年生の時から一年間、親元を離れ病院が併設された養護学校で生活しました。今は、4人の子供を育てながら奮闘中。(ごあいさつ