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バリ島でデング熱 症状と対処法

数年前にデング熱になったことがあります。
なぜ、今になってこんな話かと言えば、最近、蚊が増えてきまして。昔のことを思い出しながら「デング熱には気を付けないと」っていうわけです。気を付けると言っても、蚊にさされないようにする、免疫を下げない、、ぐらいなんですけど。まぁ~普段は、蚊が出没する時間帯は長袖、長ズボンに靴下を着用、何よりも蚊が出没する時間帯より前に、蚊よけ効果のあるインティバリのボディガード・エッセンシャルオイルを水に混ぜ、霧吹きで室内に噴射。殺虫剤のように殺すことは出来ませんが、これで蚊が寄り付かなくなります。いや、もう二度とデング熱にはなりたくないんで!そんなわけで・・・

デング熱とは

蚊が媒体となりデングウイルスに感染することで発熱、血小板・白血球の数値が下がり、頭痛、眼の裏の痛み、関節痛、筋肉痛、吐き気、嘔吐など伴う病気です。主に東南アジアや南アジア、中南米などの熱帯地域で流行する病気ですが、温暖化の影響なのか、日本国内で感染する症例もありました。このデング熱は4タイプの菌があり、一度デング熱になると、治ってもその菌は体内に保持されるらしいです(免疫にはなりません)。そして2度目にデング熱になった際に、一度目と違う菌だった場合、体内に保持されている一度目の菌と融合して一度目より酷いデング熱になってしまうようです。これが、3度目、4度目になると、更に酷くなるようです。自分の場合も、かなり酷かったので、実はこの時初めてではなく、以前にデング熱菌をもった蚊にさされていて、たまたま抵抗力が強く症状としては発症しなかっただけということも考えられます。

このデング熱には、これといった治療法はなく、できることは対症療法だけ。
血小板が下がると、出血した際に血が止まらなくなります。指圧しただけで内出血したり、鼻血がでたりするとかなり血小板が下がっているということなので、たえず血液検査をして血小板の数値をチェックする必要があります。酷い場合は、内臓が出血してパニック障害を引き起こし死んでしまうという怖い病気なので、出血を伴う場合は入院治療による呼吸系や循環系の管理が必要のようです。また、血小板が下がると、身体のいたるところが痛くなりますので鎮痛剤が必要になります。吐き気を伴い食欲がなくなりますので、点滴などで栄養補給も必要になります。水分補給も重要です。

自分の場合

このようなデング熱にかかってしまいました。
思い起こせば、、、当時は頻繁に運動しており1週間の半分は筋肉痛だったので、その身体の痛み、つまり筋肉痛だか関節痛が運動によるものなのか?デング熱によるものなのか?判別できず(汗、というか、そもそも発熱していることに気が付かず(汗汗、ちょっと疲れた程度の感覚で昼寝をしただけ。昼寝をするなんて珍しいと思った妻が、僕の頭を触り発熱していることが発覚したのでした(泣。まぬけな話ですけど、普段元気な人が病気になると、得てしてこういう感じですよね?自分は風邪とかでは熱が出ない体質だし、当時はまわりでデング熱が流行っていたので、デング熱を疑ったのですが、デング熱は発熱後3日しないと検査しても判定できないようなんですね。とりあえず解熱作用のある漢方薬を服用して安静にしていたんですけど、3日後、血液検査をした結果、やはりデング熱との診断でした。初回の検査結果は、白血球の数値が正常時より低く、また血小板の数値もボーダーラインぎりぎりです。今後、1週間は血小板の数値が下がり続けるであろうとの診断でした。ただ、熱を伴わない珍しいケースだと。いやいや、漢方薬で抑えてるだけなんですけど笑。

翌日に再度の血液検査をしたら、やはり血小板の数値が正常時よりかなり下回り、身体のいたるところが痛くなり、それが3日続きました。自分の中では鎮痛剤を服用するということが頭になく、鎮痛剤を処方されていたことも気が付かず、ただ我慢するだけで眠れない日が続いたのですが(アホですね泣)、ある時、鎮痛剤があることを知って服用すると、痛みが治まり眠れるようになりました笑。この時、最初から鎮痛剤を服用していれば良かったと思ったのは言うまでも御座いません汗。

ただ、痛みは治まりましたが、まだ血小板は下がり続けます。こんな状態が、発熱から1週間続き、食欲がない分、体力も弱まり体重も5kg減です。改めてけっこう辛い病気です(涙。入院はせず、自宅で対処療法したわけですが、発熱から1週間後、やっと白血球は正常値になり、血小板もボーダーラインギリギリまで上がります。一応、これで一安心です。後は、衰弱した体力を戻すだけ。結局、発熱から2週間は自宅療養したことになります。

入院して点滴を受けていれば、白血球や血小板の数値が正常になってからの体力回復はもっと早かったでしょうね。まぁ~自分の場合、入院するつもりはさらさらなかったのですが、、、

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1964年生まれの横浜育ち。6年間のジャカルタ駐在を経て2000年にバリ島に移住し、娘の肌トラブルをきっかけに化粧品販売会社を創業。自分自身、元々アレルギー体質&敏感肌の医者泣かせで、小学校1年生の時から一年間、親元を離れ病院が併設された養護学校で生活しました。今は、4人の子供を育てながら奮闘中。

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インティバリ代表 岡柳 薫

1964年生まれの横浜育ち。6年間のジャカルタ駐在を経て2000年にバリ島に移住し、娘の肌トラブルをきっかけに化粧品販売会社を創業。自分自身、元々アレルギー体質&敏感肌の医者泣かせで、小学校1年生の時から一年間、親元を離れ病院が併設された養護学校で生活しました。今は、4人の子供を育てながら奮闘中。(ごあいさつ