18Oct
祖父の名は岡柳喬(たかし)。喬という字には、丘の上の柳が「高くそびえる」という意味があります。父の名は栄(さかえ)です。柳が高くそびえると「栄える」ということです。そして、柳が高くそびえ栄えると香る、、、
僕が生まれる前から、男でも女でも名前は「薫」と決まっていたそうです。長女が生まれた時も、香った後はどうなるのか?あれ?枯れる?などなど、命名するのに色々と悩みましたが、、、
こんにちは、岡柳薫です
2000年に、6年間在住したインドネシアの首都ジャカルタからバリ島に移住しインティバリ社を設立して現在に至ります。
僕は性格的に口数が少なく不愛想なところもあるようで(自覚症状なし笑)、そう思われる僕だからなのか?6年ジャカルタに居たという話が、巷ではジャカルタで生まれ育ったという話に変わっていたのには驚きました笑。
つまり、ちょっとした変人扱いですが、僕に言わせればバリ島に居る日本人は全員変人で、変人達に変人と言われるのは、ちょっと???バリ島変人ランキングがあれば僕は下位だと思っています笑。
僕は薬が嫌いです
僕は薬が嫌いで子供達にも出来るだけ薬を服用させません。薬に頼り過ぎると免疫力が落ちるという考えです。その根底には、僕が小児喘息で、小学校1年生の時に山の中にある養護学校(病院と学校が一緒になっている学校)に1年間入院していたことがあるように思います。その養護学校の方針は、「薬に頼らず空気の良い山の中で身体を鍛えて治療する」というものでした。
また、アレルギー体質の上、肌が弱かったです。傷などでバンドエイド等のテープを肌に貼ると肌が被れていたので医者泣かせでした。そんな僕の薬嫌いとアレルギー体質、そして肌が弱かったことが、インティバリの方針と大きく関わっていると思います。
インティバリは、天然成分100%にこだわる化粧品製造販売会社なのですが、そのこだわりは、天然成分が良いというより「疑わしいモノを出来るだけ避ける」という意味合いが強いです。その疑わしいモノ、つまり合成化学物質なのですが、薬は僕の中で疑わしいモノの代表です。
もちろん、薬に頼らざるを得ない時もあるので、合成化学物質を完全否定しません。あくまでも可能な限り避けるということです。
誰かに頼らず自分達でやる
インティバリを始めた直接的なきっかけは、バリ島に移住した当初、当時5歳だった娘の肌トラブルです。頭皮が膿み血だらけになるくらい酷かったです。当時のバリ島は医療機関に若干の不安があったものの、仕方なく通院させ薬に頼ったのですが、中々良くなりませんでした。むしろ悪化していたので、薬に頼ることをやめ、試行錯誤しながらも、食生活を変え、日用品においても合成化学物質が主成分の製品を排除した生活を始めます。
幸いにもその生活を始めてすぐ、目に見えて娘の肌トラブルが改善されたことが、インティバリを始めるきっかけになっています。肌トラブルを改善するには食生活を見直す。そして、ご自身に合う基礎化粧品を使う。これが大切だと身をもって知りました。
妻が環境問題(環境を破壊する物質が人体にどのような影響を与えるか?という学問)を学んでおり、合成化学物質に関する知識があったことも幸いしました。
「誰かに頼らず自分達でやる」という意識からインティバリがスタートしたとも言えますが、子育てにおいても、当時のバリ島は教育にも不安があり、娘の友達を数人集めて寺小屋的な塾を始めたり、バリ日本語補習校で体育教室の先生になったり、ダンスチームや子供サッカークラブを作ったりもしました。
近況
バリ島生活20年目を迎えましたが、長女がバリ島の高校を卒業した後、日本の大学に進学し、また同じタイミングで妻も義母が暮らす群馬県に行き(当初は短期の予定でしたが長引き、今は群馬県でインティバリの輸入販売会社を設立してます|詳細)、そして昨年9月、末っ子も「日本のクラブチームでサッカーがしたい」という希望で日本に行きました。
↑【末っ子が日本のクラブチームでサッカーをしたいと言いだしたきっかけ】末っ子につられて笑、次女も日本の高校に行き、更には、今年の8月にバリ島の高校を卒業した長男がオランダに留学し、2019年9月からバリ島でひとりぼっちです(泣。
ひとりぼっちになって以来、心境に変化があったか?自覚はしていませんが、今年5月にデング熱になり体重5kg減ってから今でも戻らないのは、さみしい病だと周りから言われています笑。それを否定できません汗。
こんな中、娘が作り、妻が監督をしていたダンスチームには、未だ監督代行として関わっています。妻が日本に行き、流れで僕が監督代行になった時から毎週日曜日の野球に行けなくなり、ダンスの練習に時間を割くようになりました。
40代までは、野球、サッカー、テニス、バトミントンと毎日運動していた時期もありました。筋肉痛じゃない日の方が少ないくらいスポーツバカなところもあったのですが、50代になると、思い通りに身体がいうことを聞かなくなり、今では週一回テニスをするだけ。また子供が成長してくると、自分が運動するより子供達が運動してるとこを見る方が楽しくなるんですよね。
そんな僕ですから、自分の娘たちがいなくなった今もダンスチームの監督代行を継続していますが、周りからは、「自分の子供がいないのに、なによりも踊れないくせにダンスの練習を見に行っても意味ないだろ」と言われます(汗。
確かに、僕が一番苦手なのがダンスかもしれません笑。手拍子がズレるくらいですからリズム感ゼロかも。ただ、今までダンスチームで娘と深く関わってきた子たちのダンスを見るのも意外と癒されます。もはや、自分の子供と同じ感覚です笑。故に、自分が出来ることは何でもやるっていう意識がありますし、メンバーのチーム分けや演目、演出など、僕の判断で決定してきた部分もあるので、それなりの責任を負っていることもあります。
踊れないヤツが、人が作った振付やフォーメーション、ダンス部トップの子達の踊りにまでダメ出しするのですから何様だよ責任重大です笑。
そんなわけで、ダンスチームに関しては、年数回あるイベントに向け僕がプライベートで優先的に時間を割く部分になっています。(10年間、チームに関わってきたのですが、2020年3月、娘と一緒に頑張っていた世代の子達が引退したこともあって、僕も潮時かと思い監督代行を辞任しました泣。世代交代したわけで、ダンスチームはそのまま活動しています。)
ママ友
ダンスチームのママ友達も、子供達が居なくなった今でも僕を女子会に誘ってくれます。バリ島は送迎社会で、ママ友や子供達がみんなで食事するって時も、僕がうちの子たちを送迎するのですが、最初の頃は、ママ友の中に男ひとり混ざるのが嫌で、送迎だけして「自分は仕事があるから」とウソついて逃げてたのですが笑、
成り行きで一度参加した時に大歓迎されまして。今では、ママ友たちは僕のよき理解者であり大の仲良しです笑。よく考えると、ママ友たちの女子会にお父さんが一人だけ参加するのは珍しいと思うのですが、皆さん違和感ないようで「僕の中身は半分おばさん」なんて言われます。僕から言わせればママ友達の中身が半分おっさんなんですけど笑。
そんなわけで、2019年9月からバリ島ひとりぼっちがスタートしました。
PS
子供達の名前ですが、結局、子供達の代で祖父からの流れを断ち切りまして、漢字一文字、画数、それから岡柳に対する見かけと音の調子にこだわり、澪、凱、遥、翔と命名しました。
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